「古建築の鑑賞法」 株式会社瀧川寺社建築 國樹  彰様

1.古建築とのふれあい
  私たちの住む奈良は、古代から日本の政治経済の中心地として栄え、常に文化の最先端を担ってきた土地柄で、比較的戦災にも遭わずに、多くの貴重な文化財を残してくれています。世界最古の木造建造物である法隆寺金堂・五重塔から、世界最大の木造建造物、東大寺金堂、飛鳥時代からすべての時代に亘って残っているのは奈良県だけなのです。
  常日頃、そんな文化財に囲まれて生活していますと、何気なしに見ているものが自然と体に染み込んでいるものです。他府県に行ってみて、なにか違いを感じたことが、皆さんもおありではないでしょうか。
  奈良県で育ったものは、その違いを見る目を自然と培っていることになります。

2.日本の古建築
  日本古来の伝統技術によって建てられた建物、伝統的建造物を古建築と呼びますが、皆さんご存知のように外来文化によってもたらされたものが大きく影響しています。
  飛鳥、奈良、鎌倉、明治時代と、外来文化によりそれまでの建築が変革をとげました。
  6世紀中頃、朝鮮を経由して仏教が伝わり、飛鳥寺の造営から各地に寺院が建てられました。ただ各伽藍は小規模なものが多く、建物も特に大規模なものは少なかったようです。
  奈良時代には中国唐の都長安を模して、壮大な平城京が建設され、寺院も同様に大型化したため、今度は中国から直接の技術が伝わったものと思われます。
  飛鳥時代以前は、現存する建物が残っていないため確認はできませんが、三内丸山遺跡や唐古鍵遺跡、吉野ヶ里遺跡などではその復元建物が建てられています。
  このような建物を知る手がかりは、伊勢神宮の神殿形式です。お伊勢さんは古来より旧形式を守って造替されました。神社本殿形式の一つで、唯一神明造りといわれる形式です。
  このような日本古来の建築と、朝鮮半島や中国大陸からの建築文化は、奈良時代にはすでに日本特有のものに変化しています。
  中国の山西省には、中国最古の木造建造物である、南禅寺大殿や華厳寺大雄宝殿、仏光寺東大殿などはなにか日本の建物と雰囲気が似ており、ほっとさせられます。それでも部材の加工精度や形状にはっきりとした違いがあり、日本ではまったく見られないものです。

3.建物の時代判定
  各建物はその建立時期によって、共通した特徴を持っています。それは各時代の政治・経済には違いはあっても、文化は全国共通であったことを示しているものと思われます。
  時代判定法には、建物の全体バランス、平面、構造、部材の大きさや加工法、様式、軒の反り、細部の形状、材種、風化状況等総合的に判断する必要がありますが、比較的安易にできるのが、彫刻文様です。
  今回は、蟇股と木鼻の二つの部材を取り挙げ、大まかな見分け方をご紹介します。
  蟇股は奈良時代からよく使われ、その変遷も容易に判ります。
  奈良時代〜平安末期(710〜1184)までは板蟇股(一枚板)や本蟇股(左右別材)といって材の厚みもあり、上部の荷重をしっかりと受け止めます。その後中を彫りぬいて文様を彫った透かし蟇股が出てきます。その文様は左右対称形で、室町時代中期(1393)頃からは左右対称が崩れ、桃山時代からは彫刻が多用され、江戸末期では全体が彫刻に変わってゆきます。
  次に木鼻の様式変遷ですが、これも蟇股と同様な変化が見られます。しかし、蟇股との大きな違いは、木鼻は平安時代までは日本では使用されていなかったということです。鎌倉時代に禅宗と一緒に導入されたもので、現在禅宗様と呼ばれているまったく当時の中国の様式が伝わりました。それに対して平安までの様式を和様と呼び、さらにすぐさまそれらを融合させた折衷様という様式を、巧みな日本の工匠たちは造りだしたのです。
  また、鎌倉時代には大建築の大仏殿を復興するため、僧重源が導入した大仏様があります。(現存東大寺南大門・鐘楼・兵庫県小野市浄土寺浄土堂)室町時代以降はこれらのものが渾然一体となって発展を遂げてきましたが、江戸初期まではそれぞれの曲線や文様にも力がみなぎっています。その後戦もなく、18世紀から庶民文化が花開くようになると、にぎやかさはあっても力強さはなくなっていきました。
  今回はごく一部についての大まかな時代変遷を述べましたが、もっとも大事なことは全体のバランスや曲線美です。
  今後、皆さんが古建築の良さを理解し大人の密かな楽しみの一つにしていただけることを、願っています。

| 例会スピーチメニューに戻る |
Copy right(C) 2003 Kashihara Chuo Rotary Club All Rights Reserved.